2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
母は27年前に自身が卒業した小学校に向かい歩いていた。母なりに策があったのだ。1980年3月27日春休みになったばかりの小学校に行き、母は何をしようと言うのか?子供達を狙った凄惨な痛ましい事件が起こる現代とは違い当時、小学校の校門は開いていた。母は…
母はあの日、私達姉弟の手を引きバスに乗ったバス停に今朝は一人で立ち、バスを待っていた。そのバス停は、母が生まれた街に行くバスも通っていた。私が生まれた区の西側に隣接する区。その中の私鉄沿線で母は生まれ育った。昭和13年に鉄道会社が分譲したそ…
「知ってる? 知ってるって、この買主の 大林【仮名】って人をか?」 父は予想もしていなかった 母の言葉に驚く。 「ええ。多分間違いないわ。 住所と名前。 この買主、私の幼馴染のお父さんよ...。 小さい頃、この人に遊んでもらった記憶もあるわ...。」 父…
竹田さんのおじいちゃんにアパートの入居交渉を頼み、 徒歩10分弱の自宅へ帰る母の足取りは軽い。 今自分たちの家族に起こっている事態の全てを考えたり、 自分たちの家族の今後を考えれば、 広大な砂浜の砂を一掴み分不安を取り除いた程度だが 「引越し先が…
「私の知り合い本人に聞いてみないと何とも言えないが、 おそらく大丈夫だろう。正直きれいなアパートではないが、 この近くだ。今から一緒に見に行ってみるかい?」 竹田さんのおじいちゃんに促されて、 「はい...。是非。是非お願いいたします。」と母も応…
運ばれて来た緑茶を飲みながら竹田さんのおじいちゃんが口を開く。「今回の件は、 私もさっき聞いたばかりなんだ。 大変な目に遭ったね」嗄れてはいるが、腹から出ている力のある声が不安と言う黒い津波に飲み込まれそうな母を少し安堵させた。母は緑茶に手…
母はママ友〔以下 竹田さん 仮名〕の家に向かい一駅分、北に歩いていた。23区内の駅の間隔は広くは無いとは言え約2キロの道のりだ。母は竹田さんの「わかったわ」の意味を考えていた。何か策があるのだろうか?「わかったわ」の短い返事の後、武田さんの家に…
母はその日も朝から身支度もそこそこに家を出る。都営住宅には今後応募を続ける事は昨夜父と話し合って決めたが、目の前の問題である「4月20日までに引っ越す事」を先ずは解決しなくてはならない。駅前にある不動産屋に次々と入り、事情を話す。母はそれまで…
「お父さん!その顔...!」母が息を呑む。「おお!これか?血の気が多い奴がいてな。 2、3発殴られたよ。 大丈夫。俺は手を出してない。 ひたすら謝ったよ」父は当時45歳とは言え、20代で剣道四段を取得。同じ頃「永遠のチャンプ」大場政夫氏を後に輩出するジ…
1980年3月25日。その日、自宅がどんな様子だったのか?この日から数日間の話は父も詳しく話してくれないまま14年後、59歳で他界した。母は私達姉弟を中野のおじちゃんの家に送り届けると、自宅へと引き返した。3月25日から数日間は父が危惧した通り、蜂の巣…
「ざあああー!」1980年3月25日。私達姉弟は池のポンプの音で目覚めた。私は一瞬、見慣れない景色に戸惑った。「ああ、僕は 中野のおじちゃんの家に来たんだ」ふと隣を見る。羽化した蝶が残した脱け殻の様にがらんとした布団が見える。姉はもう起きているよ…
父は、蜃気楼に包まれた砂漠を宛てもなく彷徨う旅人の気持ちがわかった様な気がした。会社の預金は数千円。自宅は、印刷機は、社用車は売却済みで家賃と使用料を支払っている。自宅の売却金額は、後年の父の言葉を借りると「二束三文」8桁に及ぶ会社名義の借…
父は二階の事務所への階段を登る。 今日何度目だろう..? 階段を登る途中、一階の工場からは いつもの印刷機の音が、 いつもどおりに聞こえる。 今起こっている事は 日常とは違う次元に存在しているようだ。 父は給料袋に各従業員の給与を 二ヶ月分ずつ、給…
父は個人名義の通帳と思い当たる全ての印鑑を持ち、金融機関に向かって歩いていた。会社の口座と個人の口座を違う金融機関にしていた事は幸いだった。午前中に行った三か所の金融機関に父個人の口座は無い。もし同じ金融機関があったら、個人の預金を全て下…
父は工場を出ると、二階の事務所に戻った。父個人名義の通帳数冊と、印鑑を探す。通帳のある場所はすぐにわかったが、どの通帳の印鑑がどれなのかがわからない。自身の会社の財務や経理を全て自身の姉に任せていた事が悔やまれる。「血を分けた姉弟?」実の…
従業員達は動揺していた。あたりまえだ。突然、会社の経営危機を伝えられたのだ。社長である父があまりにも無責任に見える。しかし、心にやましさがある人間は必ず目をそらす。良心がある人間ならば嘘をつく時、相手の目を見ることができないのだ。父は目を…
一階の工場に降り 工場のドアを開ける。 当時三台あった印刷機が激しい音を立てて回っている。 父は従業員に向かって軽く手を上げる。 起業以来続いている、作業を一時中断する合図だ。 父の元に集まってくる従業員に話す。 「今やっている仕事は、3日で終…
階段を上り、2階の事務所に入る。 さっき法務局に向かって飛び出したまま、書類が散乱している。 父は電話を取る。 日ごろから発注を頂いているお客様に電話をする。 「詳細は落ち着いたら、必ず話します。大変なご迷惑をおかけいたしますが、 現在お請けし…
父は法務局からの道を、自宅に向けてゆっくりと歩いていた。 もう走らないし、走る必要性も感じない。 頭の中は混乱し、足取りは重い。 会社の預金は全ておろされ、 自宅は売却されている。 ふと、会社にある現金を会社が持つ3つの金融機関の口座に分けて振…
父は自宅に向かって走っていた。間も無く本格的な春が訪れようとしている1980年3月24日。父の目には景色が陽炎のように歪んで見えた。息も切れ切れに自宅に辿り着くと自宅2階にあった事務所に入る。2階までの階段ですらもどかしい。事務所の無機質に白い壁が…
会社の預金が無いことを、2度の金融機関からの電話で知らされた父は 捜索願より先に、会社の通帳を持ち足早に金融機関へと向かった。 どちらの金融機関も、徒歩10分も掛からない。 さっきの金融機関からの電話が、何かの間違いであって欲しいと 一縷の望みを…
3月23日 日曜日の早朝「墓参りに行って来る」 と家を出たまま戻らなかった 父の会社の経理担当であった、父の姉。 当時私たち姉弟は「おばちゃん」と 呼んでいた。 3月23日深夜になっても戻らない おばちゃんの身を案じた父は 翌3月24日の朝一番 再度、おば…
私の人生を決定づけた 1980年 3月24日。 私と姉の伺い知らぬ所で 何が起きていたのか? 私自身が、この日の全容を ほぼ知り得たのは 中学生になった頃だろうか。 家族や親類から、 「あの時は...。」と話される まるでモザイクタイルの一枚のような 断片的な…
「よく来たね。早く食事をしなさい...。」 東京都中野区の父の実家に到着したのは、陽もすっかり暮れた時間だった。 私の自宅から、父の実家までバスで30分程度。 バス停からも近かったのだが母も混乱しており、 また母は極度の方向音痴であったためかなり…
「中野の家に行くから、今すぐに急いで支度しなさい!!」 一歳違いの姉と二人で炬燵に入りながら、再放送のアニメを観ていた 自宅3階のリビングに母が叫ぶように入って来た。 当時7歳と8歳の私たち姉弟から見ても明らかに 「血相を変えた」母の形相に驚き 動…
1980年3月24日 月曜日 東京都23区。天気 晴れ。 陽は延び始めたとは言え、三月下旬の風は まだまだ冷たく、陽が落ちるのも早い。 その日は、小学校の修了式の日。 私は当時小学校一年生。小さな印刷会社を営む父と専業主婦の母。 一歳違いの姉。父の姉、当時…
このブログに辿りついて下さった皆様。ありがとうございます。 私は40代半ばの何処にでもいるオッサンです。 いや!自分では何処にでもいるオッサンだと思っているのですが、 友人知人に私の今までの人生を話すと 「本を書いたほうが良くないか!?」 と言わ…