野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

「副お父さん」5

 

 

「お前達に大事な話がある。
      良く聞いてほしい...。」
 
 
3月24日に突然中野のおじちゃんの家に
行って以来、何が起こっているのか全く
知らされていない私達姉弟は、
 
父の前に正座して、言葉の続きを待つ。
 
 
状況を具に聞いてはいなかったが
何かとてつも無い事が起きているのは
そこはかとなく感じていた。
 
 
 
「お前達が中野に行った日にな、
    これはまだ推測なんだが...。」
 
父は隣の母と顔を見合わせて頷きあうと
話を続ける。
 
 
「あのな...。おばちゃんが、
   お父さんの会社のお金を
  全部持って、何処かに行ってしまったんだ。
   
  そして、この家も違う人の物になっていて
  もう皆でこの家を出て行かなくてはならないんだ。
 
  お前達も見ただろう?
 
 
   印刷の機械も、車も全部無くなったんだ。
 
  ...。
  お父さんとお母さんは、何度も話し合って
  会社を潰して、引っ越しする事にしたんだ。
 
 引っ越しはもう終わっている。
 今日の夜から、新しい家で寝て欲しい。
 引っ越し先はすぐ近くだから
 転校する事も無い...。」
 
 
父はここまで言うと、俯いて黙り込んだ。
家庭を守るべき存在の父親から
家業が破綻した事を自身の子供に伝えるには
どれだけの勇気を必要としただろうか。
 
母も俯きながら
声を押し殺しながら泣いている。
 
 
姉は状況を理解できないのか
私の顔を不安げな表情で見ている。
 
 
私も全てを理解出来たわけでは無いが
 
今日から新しい家に行かなくてはならない事は
かろうじて理解出来た。
 
そして自分の家に、家族に大変な事が起こり
家を取られた事は、痛い程理解できた。
 
 
「僕は副お父さん...。」
そんな言葉を思い出していた。
 
 
 
不意に鼻の奥がツーンと痛む。
熱く焼けた鉄の塊が下腹から込み上げ
 
熱い涙が私の頬を濡らす。
 
 
悔しくて悔しくて涙が止まらない。
 
しやくり上げるような嗚咽の中
震える声を抑えようとしながら
私は父と母に謝った。
 
声の震えと涙は止まらない。
まともに喋れない位に。
 
 
 
 
 
 
「...。おとうさん...。おかあさん...!
    
   ...。ほんとに...!
        
     ほんとに、ごめんさない...!」
 
 
 
突然謝り始めた私を、
父と母は不思議そうに見つめる。
 
 
「何でお前が謝るんだ...?」
 
 
父が腕組みをしたまま、私に問いかける。
 
 
 
「...!!
    僕は副お父さんなのに...!
 
    副お父さんだから...!
 
 
    家に何かあったら...。
 
 
    家に何かあったら.
    僕が頑張らなくちゃいけなかったのに...!
    
    ほんとに ごめんさない...!!」
 
涙で言葉にならない。
 
 
 
 
 
たまらず母が口を開く
 
「...。
   ありがとう。
   そうね、あなたは副お父さんだもんね。
 
   強い男の子だもんね...。
  
  お父さんもお母さんも
  その気持ちだけで、
  十分に嬉しい...。
 
   でも貴方はまだ小さいから仕方ないのよ...。」
 
 
 
 
 
「じゃあ...!
    じゃあ...。僕が大きくなったら...!
    僕が大人なったら!
    僕がまた、
    僕がまた、ここに家を建てるから...!
    絶対に、絶対に...。
 
    ここに家を建てるから...!」
 
 
 
私の涙は止まらず、
興奮からか鼻血まで吹き出しながら
私は泣き叫んでいた。
 
 
父は腕組みしたまま俯いている。
 
母は涙を拭いながら
私に優しく語りかけた。
 
 
「...。
   ありがとう。
   きっとできるわ...。
   
   お父さんもお母さんも
   ずっと待ってるね...。」
 
1980年  4月5日。
 
 
その日は私の40年に渡る長い人生の
目標を決めた日。