野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

1980年3月24日 全てはここから始まった 2

「中野の家に行くから、今すぐに急いで支度しなさい!!」

 

一歳違いの姉と二人で炬燵に入りながら、再放送のアニメを観ていた

自宅3階のリビングに母が叫ぶように入って来た。

当時7歳と8歳の私たち姉弟から見ても明らかに

「血相を変えた」母の形相に驚き

動きを止めて母の顔を上目遣いで見る。

 

テレビからは、観ていたアニメのエンディング曲が、

血相を変えた母と、唖然とした私たち姉弟をバカにするような

明るいメロディを静まり返ったリビングに流している。

西側の窓からの陽射しが妙に赤く見えた。

時間は16:30頃だっただろうか。

時間にしたら、ほんの数秒の沈黙だったように思うが、

当時はもっと長く感じられた沈黙。

動きを止めて、ただ母の顔を見る私たち姉弟

もう一度

「何をしてるの!! 早く出かける準備をして!!!」

と母の金切声。

私の母は大変穏やかな女性で、

私自身、母が怒鳴っている姿は後にも先にも

この時しか見たことがない。

 

私と姉は二回目の母の怒鳴り声を合図に、弾かれるように炬燵を飛び出し

慌てて部屋着から外出用の洋服に着替えだした。

いつも優しい母しか見たことが無い私たち姉弟は、母の形相と怒鳴り声に

怯え、べそをかきながら。

 

何がなんだかさっぱりわからない。

中野の家とは、東京都中野区にある、

父の実家である事は理解できたが

何でこんな急に?

何でお母さんがこんなに怒っている?

お父さんはどこ?

おばちゃん(同居していた父の姉)はどこ?

混乱し、泣きながら着替える私たち姉弟の隣で

母は血相を変えたまま、タンスから手当たり次第に

着替えを大きなボストンバッグに放り込んでいる。

 

パンパンに膨らんだボストンバッグを肩に掛けた母は

着替え終わった私たち姉弟の手を引き、

三階から階段を小走りに降りる。

途中、2階にあるダイニングに立ってる父の後姿が

見えたような気がしたが、母があまりに強く私の手を引くので

そのまま2階を通過し1階の玄関へ。

「バン!!」

母が思い切り開けた玄関の外は、リビングの西側の窓から見えたように

妙に赤い夕焼け。

母は無言で玄関を閉め、鍵も掛けずに自宅の100m程度東側にある

大通り向かう。そこに中野区の父の実家方面に行くバス停があるからだ。

 

母は無言で私たち姉弟の手を引き小走りでバス停に向かう。

母に引かれている左腕が痛い。

それほどの強さで母は私たち姉弟の手を引いていた。

 

「鍵を掛けないって事は、やっぱりさっき2階にいたのは、お父さんだ!」

父のことが心配になり、ふと振り返ると、

真赤な夕陽をバックにした自宅が見える。

なぜだか急に哀しくなってきた。

 なんだろう?なんでだろう?

明日は友達と遊ぶ約束があるのに。

1980年3月24日 月曜日 東京23区 天気 晴れ。

私が生まれた家で生活をした最後の日。

 

振り向きざまに見た夕陽をバックにした自宅の姿は

今でも鮮明に脳裏に焼きついている。