野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

お前は貧乏人 4

「おい! お前の家、 お化け屋敷みたいなんだってな! 貧乏だから引っ越したのか? この貧乏人! お前は貧乏人だ!」 友達二人が私の誘いを断って帰宅した翌日の下校時、一人の同級生が、私に罵声を浴びせた。彼の名は石川【仮名】一年生の時から私と折り合…

お前は貧乏人 3

慌ただしく新しいアパートに引っ越した翌々日。1980年4月7日 私は小学校二年生。姉は三年生の始業式を迎えた。竹田さんのおじいちゃんが保証人になる事で入居が許されたアパートは以前の自宅から徒歩十分もかからない場所だ。小学校を転校すること無く同じ小…

お前は貧乏人 2

1980年4月5日 夕方。西に傾く夕日を左側にうけながら渡した家族四人は北に向かい歩く。先頭は父。黒いタートルネックのセーターにグレーの作業ズボン。大きな歩幅で歩く父に遅れまいと私は時折小走りになりながら二番手を維持する。「副お父さん」のプライド…

お前は貧乏人 1

「お前は貧乏人」この言葉は私が25歳で小さいながらも一軒目の建売の家を買う頃までは第三者が私を蔑む時に使う常套句だった。今でも脳裏には私を虐げ、蔑み 冷たい視線を浴びせた様々な人の声を借りこの言葉がリフレインとなって夢の中に響き続け真夜中に突…

「副お父さん」5

「お前達に大事な話がある。 良く聞いてほしい...。」 3月24日に突然中野のおじちゃんの家に行って以来、何が起こっているのか全く知らされていない私達姉弟は、 父の前に正座して、言葉の続きを待つ。 状況を具に聞いてはいなかったが何かとてつも無い事が…

「副お父さん」4

「...。よく帰ったな。 中野の皆は優しくしてくれたか...?」久しぶりに聞く父の声だった。父は3階リビングの隣にある和室に座っていた。母も父の隣に座る。私と姉は呆然としていた。久しぶりの自宅は変わり果てていた。一階の工場だけではなく2階も3階も、何…

「副お父さん」3

12日振りの自宅が近づくにつれて私は何処かいつもと違う自宅の雰囲気を感じ取り、走るスピードを緩めた。当時は土曜日も通常通り働く事が当然だったのだが物心ついた時から聞き慣れている印刷機が動いてる音がしないのだ。私の走るスピードは落ち続け、自宅…

「副お父さん」2

1980年4月5日 土曜日。母が私達姉弟を迎えにくる日の 朝を迎えた。3月24日から12日間、母の顔を見ていなかっただけなのに母と対面するのに、僅かな緊張があった事を覚えている。当時、土曜日は皆仕事をしていた。中野のおじちゃんが出勤した後、私達姉弟は、…

「副お父さん」1

「お前は男だからな...。 家や、お父さんに何かあったら お前は命をかけて お母さんとお姉ちゃん、 そして家を守るんだぞ...。 お前はこの家の副お父さんだ...。 その事には理由なんて無いんだ。」今日の男女平等の観点からしたら時代錯誤も甚だしい言葉であ…

「家を返して下さい」11

大林さんが自宅の一時返却を受け入れてくれた翌日1980年3月28日母は再びバスで大林さんの自宅に向かっていた。昨日の電話で、大林さんに自宅に来るように言われていたのだ。母も大林さんの気が変わらぬうちに話を纏めたかったし、母にとっても好都合だ。前日…

「家を返して下さい」10

電話の置き場所に近かった母が受話器を取る。「はい...。○○印刷です。」もう父の経営する印刷会社が倒産する事は決定的とは言え、今の段階では瀕死の状況でも存続している会社だ。電話の相手は不機嫌そうに話し始める。「大林です...。 奥さんですか? 今日…

「家を返して下さい」9

母は途方に暮れながら家路を急ぐ。自宅方面に向かうバスに乗り込んだ記憶すらない。1980年3月27日。あの日からまだ3日しか経っていない。もう何年も経過しているような、時間が止まっているような妙な感覚に母は包まれていた。大林さんに自宅の一時返却を願…

「家を返して下さい」8

母は教会から徒歩5分もかからない場所にある神山さんの父親、自宅件工場の買主である大林さんの家に向かう。四半世紀前に住んでいた土地とは言え自分が生まれた街の土地勘は喪われる事無く、小学生のころの記憶を頼りに母は歩く。記憶に残っている大林さんの…

「家を返して下さい」7

母の今の感情を逆撫でするような優しい春の日差しの中神山さんは実家の番号をダイヤルする。一度回されたダイヤルがゆっくりと戻る。母にとってはもどかしく感じられた。神山さんが受話器に耳を当てているが呼び出しの音が漏れ、母の耳にもかすかに届いてい…

「家を返して下さい」6

その教会はキリスト教、プロテスタント系の教会。母が物心ついた頃には既に街のシンボルとして有名だった。母が小学校に通い始めたのはまだ終戦直後と言って差し支えない昭和22年。隣の街は空襲の被害にあい、亡くなった方もいたが母が生まれた街は、幸い難…

「家を返して下さい」 5

「??? 大林さんの嫁ぎ先の電話番号...。 ですか?」たまたま当直でいたであろう、男性教員は面を食らう。「何でまた...?」当然の反応と言えた。母は今日、出身小学校を訪れた経緯をなるべく簡素に伝える。「大変な事になっているんですね。 わかりました…

「家を返して下さい」 4

母は27年前に自身が卒業した小学校に向かい歩いていた。母なりに策があったのだ。1980年3月27日春休みになったばかりの小学校に行き、母は何をしようと言うのか?子供達を狙った凄惨な痛ましい事件が起こる現代とは違い当時、小学校の校門は開いていた。母は…

「家を返して下さい」 3

母はあの日、私達姉弟の手を引きバスに乗ったバス停に今朝は一人で立ち、バスを待っていた。そのバス停は、母が生まれた街に行くバスも通っていた。私が生まれた区の西側に隣接する区。その中の私鉄沿線で母は生まれ育った。昭和13年に鉄道会社が分譲したそ…

「家を返して下さい」 2

「知ってる? 知ってるって、この買主の 大林【仮名】って人をか?」 父は予想もしていなかった 母の言葉に驚く。 「ええ。多分間違いないわ。 住所と名前。 この買主、私の幼馴染のお父さんよ...。 小さい頃、この人に遊んでもらった記憶もあるわ...。」 父…

「家を返して下さい」1

竹田さんのおじいちゃんにアパートの入居交渉を頼み、 徒歩10分弱の自宅へ帰る母の足取りは軽い。 今自分たちの家族に起こっている事態の全てを考えたり、 自分たちの家族の今後を考えれば、 広大な砂浜の砂を一掴み分不安を取り除いた程度だが 「引越し先が…

夜露をしのぐ場所 3

「私の知り合い本人に聞いてみないと何とも言えないが、 おそらく大丈夫だろう。正直きれいなアパートではないが、 この近くだ。今から一緒に見に行ってみるかい?」 竹田さんのおじいちゃんに促されて、 「はい...。是非。是非お願いいたします。」と母も応…

夜露をしのぐ場所 2

運ばれて来た緑茶を飲みながら竹田さんのおじいちゃんが口を開く。「今回の件は、 私もさっき聞いたばかりなんだ。 大変な目に遭ったね」嗄れてはいるが、腹から出ている力のある声が不安と言う黒い津波に飲み込まれそうな母を少し安堵させた。母は緑茶に手…

夜露をしのぐ場所 1

母はママ友〔以下 竹田さん 仮名〕の家に向かい一駅分、北に歩いていた。23区内の駅の間隔は広くは無いとは言え約2キロの道のりだ。母は竹田さんの「わかったわ」の意味を考えていた。何か策があるのだろうか?「わかったわ」の短い返事の後、武田さんの家に…

「公」の意味 3

母はその日も朝から身支度もそこそこに家を出る。都営住宅には今後応募を続ける事は昨夜父と話し合って決めたが、目の前の問題である「4月20日までに引っ越す事」を先ずは解決しなくてはならない。駅前にある不動産屋に次々と入り、事情を話す。母はそれまで…

「公」の意味 2

「お父さん!その顔...!」母が息を呑む。「おお!これか?血の気が多い奴がいてな。 2、3発殴られたよ。 大丈夫。俺は手を出してない。 ひたすら謝ったよ」父は当時45歳とは言え、20代で剣道四段を取得。同じ頃「永遠のチャンプ」大場政夫氏を後に輩出するジ…

「公」の意味 1

1980年3月25日。その日、自宅がどんな様子だったのか?この日から数日間の話は父も詳しく話してくれないまま14年後、59歳で他界した。母は私達姉弟を中野のおじちゃんの家に送り届けると、自宅へと引き返した。3月25日から数日間は父が危惧した通り、蜂の巣…

夢のような春休み

「ざあああー!」1980年3月25日。私達姉弟は池のポンプの音で目覚めた。私は一瞬、見慣れない景色に戸惑った。「ああ、僕は 中野のおじちゃんの家に来たんだ」ふと隣を見る。羽化した蝶が残した脱け殻の様にがらんとした布団が見える。姉はもう起きているよ…

その日 何が起きていたのか 12

父は、蜃気楼に包まれた砂漠を宛てもなく彷徨う旅人の気持ちがわかった様な気がした。会社の預金は数千円。自宅は、印刷機は、社用車は売却済みで家賃と使用料を支払っている。自宅の売却金額は、後年の父の言葉を借りると「二束三文」8桁に及ぶ会社名義の借…

その日 何が起きていたのか 11

父は二階の事務所への階段を登る。 今日何度目だろう..? 階段を登る途中、一階の工場からは いつもの印刷機の音が、 いつもどおりに聞こえる。 今起こっている事は 日常とは違う次元に存在しているようだ。 父は給料袋に各従業員の給与を 二ヶ月分ずつ、給…

その日 何が起きていたのか 10

父は個人名義の通帳と思い当たる全ての印鑑を持ち、金融機関に向かって歩いていた。会社の口座と個人の口座を違う金融機関にしていた事は幸いだった。午前中に行った三か所の金融機関に父個人の口座は無い。もし同じ金融機関があったら、個人の預金を全て下…