野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

その日 何が起きていたのか 10

父は個人名義の通帳と思い当たる全ての

印鑑を持ち、金融機関に向かって歩いていた。


会社の口座と個人の口座を違う金融機関に

していた事は幸いだった。

午前中に行った三か所の金融機関に

父個人の口座は無い。


もし同じ金融機関があったら、

個人の預金を全て下ろす父を見た

金融機関の人間は、父と父の会社を

限りなく

「クロ」

すなわち、

計画倒産させる気だと判断するだろう。


東京の外れに近い、当時はまだ国鉄

呼ばれていた駅前の金融機関に父は

入る。

何も悪い事をしていないのに、金融機関の

自動ドアの前で深呼吸をする。

一度...。二度...。


預金を下ろす手続きをする手が震える。

普通預金、定期預金...。


家を出る前にあれほど心配した印鑑は

持って来た印鑑で全て事足りた。


おろした現金を封筒に入れると

父は自宅に向かい歩き始めた。


駅から自宅まで、商店街を通る。

地元ではちょっと有名な今川焼き

店の前で、小学生等が今川焼き

頬張りながら楽しそうに話している。

そうだ。明日から春休み。

子供達は浮かれている。


「ウチの子供達も明日から春休みか...。


父は私達姉弟が不憫で堪らなくなった。


でも、時間だけは元に戻らない。

この先に何が待ち受けようと、

前に行く他はないのだ。