お前は貧乏人 4
「おい!
お前の家、
お化け屋敷みたいなんだってな!
貧乏だから引っ越したのか?
この貧乏人!
お前は貧乏人だ!」
友達二人が私の誘いを断って
帰宅した翌日の下校時、
一人の同級生が、私に罵声を浴びせた。
彼の名は石川【仮名】
一年生の時から私と折り合いが悪く
何度か取っ組み合いの喧嘩をした事が
ある同級生だ。
一卵性の双子であった彼等は
常に何人かで徒党を組み
順番にクラスの誰かを標的にしては
虐めを繰り返していた。
石川兄弟は、取り巻き数名と
下校する私の後を着いて歩き
楽しそうに囃し立てる。
「貧乏人! 貧乏人!
お前は貧乏人!
とーちゃんも かーちゃんも
貧乏人!」
帽子を被った頭に
コツコツと何かが当たり続けている。
彼等は道端の小石を拾っては
私の頭を狙って投げつけていたのだ。
私は黙って下を向いて歩いていた。
昨日、一緒に帰宅して
新しい自宅を見た友達のどちらかが
石川兄弟に話をしたのは明白だ。
当時、私達は7歳。
友達も悪意なく話したのだろう。
そして新しい虐めのターゲットを
探していた石川兄弟とその一派からすれば
元々気に食わない私が
「お化け屋敷」のようなアパートに
引っ越した事は
虐める理由として十分だった。
私は尚も、下を向いて
無言で歩き続けた。
小石を投げ続ける石川兄弟と
その一派を憎みながら。
石川に話してしまった友達を憎みながら。
それでも、言い返す事すら
出来なかった。
私自身が、自宅アパートに劣等感を
感じ始めていたし、
何より次の虐めの標的に
私が選ばれた事に怯えていたのだ。
お前は貧乏人 3
慌ただしく新しいアパートに引っ越した
翌々日。
1980年4月7日
私は小学校二年生。姉は三年生の始業式を
迎えた。
竹田さんのおじいちゃんが
保証人になる事で入居が許された
アパートは以前の自宅から徒歩十分も
かからない場所だ。
小学校を転校すること無く
同じ小学校に通う事が出来た。
私達家族にとっては
それぞれがその後の人生においても
比肩しうるものが無いくらい
衝撃的な出来事が起きた春休みだったのだが
私達姉弟にとって
拍子抜けな位、今まで通りの学校生活が
始まった。
春休み前と同じ学校。
春休み前と同じ友達。
1980年3月25日に私が遊ぶ約束を
破った事を責める友達もいなかった。
変化の兆しが見え始めたのは
始業式から二、三日経ってからだろうか?
授業を終えた下校時に
友達の一人が、私の下校する道が
変わっている事に気付いたのだ。
「あれ?
お前の家、そっちだっけ?」
何気無い友達の一言。
新しい家に殊更劣等感も抱いていなかった
私が応える。
「そうなんだ。
春休み中に引っ越ししたんだ...。
新しい家、見にくる?」
「うん!
行く行く!」
本当に他愛も無い会話を交わしながら
私と友達二人は、進路を変えて
私の新しい自宅に向かう。
当時私が通っていた小学校は
公立にしては珍しく
制服がある小学校だった。
白いワイシャツに紺のブレザー
紺の半ズボンを履いた3人は
春の日差しの中、はしゃぎながら
歩く。
間も無く、新しい家に到着した。
「ここだよ。
ここが新しい家なんだ...。」
築30年は越えているであろう
艶のない、焦げ茶色に変色した
板張りの壁。
とっくに色褪せている
赤いトタンの屋根。
元は薄い緑色であっただろう
二階に上がる外部の鉄骨階段は
塗装が浮き、至る所から
赤黒い錆が顔を覗かせている。
そんな古ぼけたアパートだ。
「ウチは一階なんだ...!
上がって遊んで行く?」
私からの誘いに
友達二人は顔を見合わせている。
しばらく顔を見合わせた後に
一人の友達が口を開く。
「...。いやあ...。
今日はやめとくよ...。
寄り道すると怒られるし...。
それに...。
なんか、お化け屋敷みたいだしさ...。」
ある意味子供らしく純粋で
純粋だからこそ残酷な言葉を残し
四月上旬の暖かい日射しの中
友達二人は走り去る。
走りさる背中を見つめながら
私は初めて、新しい家に劣等感を抱いた。
「ぼくの家は
お化け屋敷に見えるんだ...。」
お前は貧乏人 2
1980年4月5日 夕方。
西に傾く夕日を左側にうけながら
渡した家族四人は北に向かい歩く。
先頭は父。
黒いタートルネックのセーターに
グレーの作業ズボン。
大きな歩幅で歩く父に遅れまいと
私は時折小走りになりながら
二番手を維持する。
「副お父さん」のプライドからだろうか。
少し遅れて
母と姉が手を繋いで続く。
左側から指す強い西日は
私達家族の影を右側に長く延ばしている。
私達家族四人は
まるで葬列に加わっているかのように
無言で歩いていた。
自宅から徒歩約10分の
引っ越し先のアパート
竹林さんのおじいちゃんに紹介された
アパートに向かう。
「...。
ここが新しい家よ。」
母が私達姉弟に声をかけながら
一階の一番手前の部屋の
傾いた引き戸を開ける。
半畳の土間から部屋に上がると、
三畳の台所と四畳半の和室。
畳は長い期間交換されていないようで
かなり黄ばんでいる。
案内された私達姉弟は
他にも部屋が
浴室が、トイレがあるのかと思い
四畳半の和室の押入れを開けたり
辺りをキョロキョロと眺める。
「...。お風呂は無いの...。
これからは、毎日お風呂屋さんよ。
貴方達、お風呂屋さん好きでしょう?
お手洗いは、アパートの皆で
一つ。
皆で協力して、頑張ろうね...。」
母が不憫そうに私達姉弟に声をかける。
しかし私達姉弟は新しい住まい
初めての転居を喜んでいた節がある。
確かに、父が自宅近くの銭湯に
たまに連れて行ってくれるのが
楽しみだった私は、それが毎日に
なる事が楽しみだった。
トイレが建物に一つしかない事も
寧ろワクワクすることだった。
明後日の4月7日から
学校が始まる事を考えると
4月5日の夜から
引越し先ので生活を始めるのは
両親からすれば、時間的に
ギリギリのタイミングであったのだろう。
そして悪魔は標的を
家族のうち最年少の
私に絞った。
これから約3年間
私は「家が貧乏」である事を理由に
虐めを受ける事になるのだ。
お前は貧乏人 1
「お前は貧乏人」
この言葉は
私が25歳で小さいながらも
一軒目の建売の家を買う頃までは
第三者が私を蔑む時に使う常套句だった。
今でも脳裏には
私を虐げ、蔑み
冷たい視線を浴びせた様々な人の声を借り
この言葉がリフレインと
なって夢の中に響き続け
真夜中に突然目を覚ます時がある。
後頭部から滴る汗。
獣の様に激しい呼吸。
鋼のように強く握り締めた両拳。
寝室の暗闇の中
不安に駆られた視線が
何かを求めて漂う。
傍で静かな寝息を立てる
家内と娘を顔を見つけて
ようやく、夢との狭間から
現実に戻る。
1980年 4月5日
私の人生の目標が楔のように
心に打ち込まれた日。
目標を達成しようとすればするほど
禍を起こした悪魔が
私の気持ちを焼き払おうとするように
この心無い言葉を誰かの口を借りて
今でも夢の中で私に吐きつけるのだ。
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」
「お前は貧乏人」と。
40年前の悪夢は
まだ終わってはいない。
「副お父さん」5
「副お父さん」4
「副お父さん」3
12日振りの自宅が近づくにつれて
私は何処かいつもと違う自宅の
雰囲気を感じ取り、走るスピードを緩めた。
当時は土曜日も通常通り働く事が
当然だったのだが
物心ついた時から聞き慣れている
印刷機が動いてる音がしないのだ。
私の走るスピードは落ち続け、
自宅の前に着いた時には
もう歩いていた。
息が上がり、私は肩を激しく上下
させながら自宅を見る。
静まり帰っている自宅。
ビルトインガレージにいつも
駐車されていた
父の会社の二台のバンもない。
私は一階の印刷工場の重い引き戸を開ける。
当時7歳の私には相当力のいる作業だ。
「お父さん! ただいま!」
引き戸を開けると
そこには、顔にインクを着けた父親と、
汗を流しながら働く従業員の姿が
あると疑っていない私は
いつものように大声で帰宅を告げた。
そこには何もなかった。
そこには誰も居なかった。
インクや機械油で所々汚れた
素っ気ないコンクリートの床だけが
そこにあった。
入り口から入って左側にあった
活字が沢山詰まった棚も。
右側にあった事務机も。
事務机の隣にあった冷蔵庫の中には
コーラ等の炭酸飲料が常備されており
時折、従業員の方々が
「お父さんには内緒だぞ。」と
炭酸飲料を飲ませてくれるのが私の
密かな楽しみだった。
その冷蔵庫もない。
その奥に3台並んでいて
大きな音を立ていた印刷機も。
なにもなかった。
南西に向いた工場には
4月の柔らかい陽射しが差し込み
7歳の私の影はコンクリートの床に
長く影を引いている。
ついさっきバスを降りた
3桁国道を通る車の音が
かすかに聞こえる。
想像もしていなかった出来事に
私は立ち尽くす。
少しの間を置いて
「...。お父さんが中にいるから
行くわよ...。」
振り向くと後から歩いて来た
母が姉と手を繋いで立っていた。
ちょうど逆光になり
母と姉の表情を伺うことはできない。
私は何か見てはいけない物を
見てしまったような気がして
慌てて工場の重い引き戸を閉める。
母と姉は、
工場横にある自宅への玄関を開け
一足先に自宅に入っている。
私も続いて玄関をくぐった。
二階に続く階段が薄暗く見える。
3月24日に
母に強く手を引かれながら降りた、
あの階段だ。
母と姉の姿はもう見えない。
いつもより薄暗く見えた
その階段に
私は怖さを感じ
怖さを振り払うように
小走りに昇り始めた。