野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

「公」の意味 1

1980年3月25日。

その日、自宅がどんな様子だったのか?

この日から数日間の話は

父も詳しく話してくれないまま

14年後、59歳で他界した。


母は私達姉弟を中野のおじちゃんの家に

送り届けると、自宅へと引き返した。


3月25日から数日間は父が危惧した

通り、蜂の巣を突いたような騒ぎに

なったようだが、

母もこの数日間の昼間の自宅の様子を

詳しくは知らない。

なぜなら

母はこの時、引越し先を探す為に奔走

していたのだ。


二足三文で売却されていた自宅だが

家賃は近隣相場の倍近くで契約されていた。

四月分の家賃は支払われていたので

四月二十日までは「元」自宅に住んでいる事ができる。


しかし五月分の家賃が支払不能になるのは

決定的だ。


つまり、実質一ヶ月弱で

次の家族四人の住まいを

見つけ引越しを完了させる必要があるのだ。


母がまず向かったのが、当時有楽町に

あった東京都庁

現在、東京国際フォーラムがある場所だ。


母は東京都に事情を話し、

都営住宅に入居させてもらう事を

最初に思い付いた。


今から約40年前。

今のように行政サービスも

充実していない時代。

母は様々な窓口をたらい回しにされ

その度に一から事情を説明し

窮状を訴え、何とか都営住宅に

入居できないか頼む。


入居を希望する理由を話す事は

身内の恥を晒す事と等号で結ばれる。

何度も身内の恥を窓口の人に

話していると、母は口惜しくて

涙が出てきた。


ほぼ一日を費やし、ようやく

東京都から得る事が出来た回答は


「都営住宅に入居希望なら、

   募集に応募して下さい。

  事情は分かりましたが、困っているのは

  あなた達家族だけではありません。

  あなた達家族より困っている家族は

  幾らでもいます。

  どうぞ、お引き取りください」



「でも、子供達が...!」

母は食い下がる。



「お子さんがいらっしゃって、

   もっと困っているご家族も

   幾らでもいます」


シャッターは簡単に閉じられてしまった。


母は憤りを覚えながら夕方帰宅した。

自宅は、蜂の巣を突いた騒ぎどころか

不気味な程静まり帰っている。


父が二階のダイニングで書類を整理していた。


母は東京都庁であった事を父に話そうと

父に声をかける。


「お父さん...。」


無言で振り返った父の

目の上と唇が青黒く腫れ

顔が歪んでいるように見えた。


父は経営者として、

一人で踏み止まって戦っていたのだ。