野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

1980年3月24日 全てはここから始まった 3

 「よく来たね。早く食事をしなさい...。」

 

東京都中野区の父の実家に到着したのは、陽もすっかり暮れた時間だった。

私の自宅から、父の実家までバスで30分程度。

バス停からも近かったのだが母も混乱しており、

また母は極度の方向音痴であったためかなり迷ってから

父の実家にたどり着いた。

 

迎えてくれたのは父の兄。父は六人兄弟の末っ子で三男。

父の兄は3番目の次男。

父の実家と言えども、祖父も祖母も既に鬼籍に入っており

当時父の実家には、父の兄(中野のおじちゃん)

その奥様(中野のおばちゃん)

22歳の一人娘(中野のお姉ちゃん)の三人が暮らしていた。

 

父の実家は、西武新宿線の駅から徒歩10分位。敷地150坪の平屋。

職業軍人であった祖父の警護の為に常駐していたと言う「憲兵隊詰所」

が門の脇にあったり、昭和3年築でかなり古びれてはいたが

小さいながらも庭に池があり、錦鯉が泳いでいるという

歴史を感じる立派な家だった。

この父の実家も、この10年後私の心に深く楔を打ち込むことになるのだが

この当時は、誰もそれを知るよしもない。

 

中野のおじちゃん家族は事前に私たち三人が来ることを知っていたようで、

私たち家族の分の食事が用意されていた。

何がなんだかわからないまま自宅を飛び出してきた私と姉も

中野のおじちゃん家族の温かいもてなしに、少し心に余裕ができた。

私と姉は、空腹に初めて気づき早速食事を取り始めた。

 

中野のおじちゃんと母は襖で仕切られた隣の部屋に行く。

「なんだろう?」と食事をしながら耳を隣の部屋に集中していると

母が泣いている声が聞こえる。

おじちゃんが「もうしわけなかった...。」と言っている声も微かに聞こえる。

「なんだろう?なんでお母さんが泣いているんだろう...?」

「なんだろう?なんでおじちゃんが謝ってるんだろう?」

相変わらずのわからないことだらけの一日だ。

 

食事を終えるころ、母が襖を開きこちらの部屋に来て

私たち姉弟に言った。

「お母さんは、お父さんが心配だから家に戻るね。

あなたたちはお母さんが迎えにくるまで、おじちゃんの家にいなさい」

 

自宅を出る時と比べたら、幾分、「いつものお母さんの顔」に戻っては

いたが、まだ表情は怖い。

私と姉が「いやだ!家に帰りたい!」とは言えないくらいに。

 

「さあ!あなたたち!寒かったでしょ?お風呂に入りましょうね!」

足元に冷気が漂っているような母と私たち姉弟の間にある空気を

吹き飛ばさなくてはいけないと感じたようで

おばちゃんが底抜けに明るい声を出して

私たち姉弟を浴室に連れて行く。

背中を押し、半ば強引に。

 

風呂から出て来ると、やはり母はいなかった。

なんだかまた哀しくなってきた。

姉も不安そうに私の顔を見ている。

7歳と8歳の子供ながら何か大変な事が起きているような

気がした。

でもそれを訊いてはいけない気もした。

 

床の間のある立派な和室に並べて敷かれた布団に潜り込んだが

中々寝付けない。

たまに隣で寝ている姉に

「おねえちゃん、おねえちゃん...。」と声を掛けたが

姉は寝てしまったのか、返事は無い。

聞き慣れない、庭の池のポンプの

「ざあぁぁぁー」と言う連続音が怖くなってきた。

隣から押し殺したような咽び泣きが聞こえた来た。

姉がどうやら泣いているようだ。

ポンプの連続音と姉の咽び泣きを聞いてるうちに

私も涙があふれてきた。

「なんだろう?なにが起きているんだろう?」

今日一日のあまりの慌しさについて行けてすらいない

7歳と8歳の姉弟がいくら考えてもわかるはずもない。

 

全ての始まりとなった、1980年3月24日が終わろうとしていた。

 私と姉は泣きつかれて眠りに落ちた。