野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

その日 何が起きていたのか 11

父は二階の事務所への階段を登る。

今日何度目だろう..?

階段を登る途中、一階の工場からは

いつもの印刷機の音が、

いつもどおりに聞こえる。

今起こっている事は

日常とは違う次元に存在しているようだ。

 

父は給料袋に各従業員の給与を

二ヶ月分ずつ、給与明細とともに入れ、

会社の金庫に保管する。

 

「...?!」

金庫の中に、幾つもの封筒が入っている。

「何だ?何だよ?」

 

束ねて輪ゴムで留めてある封筒を取り出し

一通ずつ中身を開く。

 

「借用書」

「借用書」

「借用書」

「譲渡証明書」

「譲渡証明書」

「借用書」

「借用書」

「譲渡証明書」

「借用書」

「賃貸借契約書」

「借用書」

 

父が聞き覚えがある取引先、個人から

おばちゃんは父の会社名義で金を借りていた。

返済日は、毎月25日。

明日が何度目かの返済日。

 

印刷機三台と会社の車も譲渡されていた。

印刷機三台と会社の車は、

自宅兼工場と同じように

父の会社が第三者に使用料を払っている

事になっていた。

これも支払いは毎月25日と約定されている。

 

「.....。」

 

そして今気づいた...。

会社の手形帳が無い...。

ダメだ...。

本当にもうどうにもならない...。

 

今日何度目かの絶望の中

父は電話を取り、中野区の自身の実家

に電話をする。

 

専業主婦であった中野のおばちゃんが出た。

 

「姉さん。本当に申し訳ない。

  事情は後で詳しく話すが

 会社が潰れる。再建はほぼ不可能だ。

明日以降、債権者からの電話が来たり、

債権者が家に来るかもしれない。

多分、

会社と自宅は蜂の巣を突いた騒ぎになる。

子供達の身に危険が有るかもしれないから、

暫く子供たちを預かってもらえないか?

家内に連れて行かせるから...!」

 

最初は全く事情を知らない中野のおばちゃんは戸惑ったが、父の只事ではない勢いに

有る程度の事情を把握してくれたようで

 

「わかったわ。お父さんには私から

 お父さんの職場に連絡しておきます。

子供達は明日から

春休みでしょう?春休みの間、ずっと

ウチに避難していなさい。」

 

色々な親戚がある。

騙すように全てを奪い蒸発する親戚。

事情も把握せずに

私達姉弟を預かり保護すると

言ってくれる親戚。

 

ただこれだけは言える。

金は人の気を狂わせる。

おばちゃんがそうであったように。


時として金の前では、

人はその理念に則った

行動を取る事が不可能になる場合が

ある。


そして禍を起こした悪魔が

したり顔で父の会社の命を断つべく、

最期の鎌を振り上げる。