野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

その日 何が起きていたのか 4

父は自宅に向かって走っていた。

間も無く本格的な春が訪れようとしている

1980年3月24日。

父の目には

景色が陽炎のように歪んで見えた。


息も切れ切れに自宅に辿り着くと

自宅2階にあった事務所に入る。

2階までの階段ですらもどかしい。

事務所の無機質に白い壁が

乱暴にドアを開けて事務所に入る父を

無機質に迎える。


父は書類が保管されている

灰色の古びたロッカーを開けると

会社の出納帳を開き

頁を捲る。


「払ってない!払ってない!

  払ってない!払ってない!!」


ガソリン代、仕入れ代金、水道料金、

ガス料金。

先月から何も払ってない!

父の首筋を粘度の高い汗

がゆっくりと流れる。

古い鉄骨の表面を覆う

錆のような赤褐色の糸を引くように。


従業員の給与だけは、

何とか支払われている。

「良かった...。」


安堵するのも束の間。

一つの項目に目を奪われる。

「家賃」


「家賃?家賃!?  家賃!!?

 なんの家賃だ?

何の家賃を誰に支払っている?」


出納帳を遡って調べる。

頁を捲る父の手は、出納帳の頁が

破れそうになる程激しい。

頁を捲る手はガクガク震えている。


前年1979年10月から何らかの家賃を

父が経営する会社が、聞いたこともない

個人に支払っている。


父は硬くて黒い金属を飲み込むように

生唾を飲み込むと、

法務局に走る。

一つの疑いを持って。

「まさか...。」

景色はますます歪みを増している。

世の中の全てが疑わしく思える。

捜索願を出そうと思っていたのが

だいぶ昔の事のように思える。


法務局に入り

自宅の登記簿謄本を取る。

父が恐れていた予感は的中していた。


前年の1979年10月

会社兼自宅は、既に売却されていた。

家賃とは、自宅と工場の家賃だったのだ。

自宅に住みながら、何も知らないまま

私達家族は賃借人になっていた。


禍を起こした悪魔がゲラゲラ笑ってる。