野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

「副お父さん」1

「お前は男だからな...。

    家や、お父さんに何かあったら

    お前は命をかけて

    お母さんとお姉ちゃん、

    そして家を守るんだぞ...。

    

    お前はこの家の副お父さんだ...。

     その事には理由なんて無いんだ。」


今日の男女平等の観点からしたら

時代錯誤も甚だしい言葉であり

年端もいかない子供に圧力をかける

行為として非難されるかも知れない。


しかし当時、

昭和10年生まれの父から事ある毎に

私はそう言い聞かされていた。


父は煙草のにおいがする

ゴツゴツした「男」の手で

私の頭を撫でられながら、

私の目を見つめる。


私も父の目を見つめ

大きく頷きながら、幼心に


「僕は副お父さん...。

    僕は副お父さん...。」


と心の中で繰り返していた事を

今でも思い出す事が出来る。








「貴方達!

    明日のお昼、お母さんが

    貴方達を迎えに来るわよ!

     良かったわね!」


その日は急に訪れた。


1980年 4月4日 金曜日の夕方

東京都中野区  父の実家。


中野のお姉ちゃんとトランプに

興じていた私達姉弟

茶の間に入って来た

中野のおばちゃんが明るく声をかける。


唐突過ぎる吉報は

当時7歳と8歳だった私と姉を混乱させる。


期待していた反応と違う

私達姉弟の反応に、


中野のおばちゃんは、

もう一度明るく言う。


「明日のお昼に、

   お母さんが迎えに来るのよ!

   お家に帰れるの!」



私達姉弟が、

事態を理解出来ていない事を察した

中野のお姉ちゃんも

続けて明るい声を発する。



「やったね!

    お家に帰れるね!

   学校が始まったら、三年生と二年生だ!」


トランプの束を持ったまま

キョトンとしていた私達姉弟

ようやく事態が把握できた。



中野のおじちゃん家族の厚情により

楽しい春休みを過ごさせて貰っていたが

やはり、

家が、父が、母が、おばちゃんが

おにいちゃんが恋しかった。


そもそも、何故この春休み中

中野のおじちゃんの家に来ているのか

私達姉弟は、その理由さえ知らないのだ。


私達姉弟は、込み上げてくるような

喜びを感じてはいたが

良くしてくれた

中野のおばちゃん、中野のお姉ちゃんの手前


あまり喜んでは悪いような気もしていた。


でも

明日になれば、お母さんが迎えに来る。

家に帰れる。


それは私達姉弟にとって、

嬉しくもあり、

現実の全てを見せつけられる

生々しい出来事であった。


姉と私は、もはや慣れてしまった

池のポンプの音を聞きながら

眠りに落ちた。