野良犬。故郷に帰る。

煮え湯を飲まされ、辛酸を舐め、砂を噛むような思いをしても、故郷に帰る夢は諦めない。

「副お父さん」4

「...。よく帰ったな。
   中野の皆は優しくしてくれたか...?」

久しぶりに聞く父の声だった。


父は3階リビングの隣にある和室に
座っていた。
母も父の隣に座る。


私と姉は呆然としていた。

久しぶりの自宅は
変わり果てていた。


一階の工場だけではなく
2階も3階も、何も無い。
家具も食器もテレビも。

私達家族四人以外、誰もいない。









大林さんが自宅を一時返却してくれた翌日
3月29日に、竹林さんから紹介された
アパートの大家さんが私達家族の
入居を、竹林さんのおじいちゃんが
保証人になる事を条件に許してくれたのだ。


そこからは展開が早かった。
母はガソリンスタンドに自動洗車機を
搬入設置する会社を経営していた
母の実弟に事情を話して頼み込み
クレーン付きの4tトラックを
出してもらう約束を取り付けると

翌3月30日に
人目を避け、まるで逃げ出すように
最低限の家財道具だけを
引っ越し先のアパートに移すと
取り敢えず新しい生活を始める
準備を整えた。


翌日の3月31日には
引っ越し先のアパートに入りきれない
家財道具は母の実弟に産業廃棄物として
全て処分してもらった。


母の実弟
引っ越しを終えた帰り際、母に

「姉さん...。死ぬなよ...。
   子供達がいるんだ。」


と声を掛けたと言う。

続いて4月1日から3日に掛けては
印刷機と車二台を、それぞれの
買主に引き渡し、

4月4日に発注を止めるように
頼んでいた父の会社の顧客に
会社を清算する事を伝えた。

父が残っていた書類を調べ
把握できた未払い先、
借り入れ先に電話をし
同じく会社を清算する事と
4月27日に債権者会議を開き
借入金の全てを一括返済する事を伝えた。

父と母はここまで話を纏めてから
私達姉弟を避難先の
中野のおじちゃんの家に迎えに来た。

この3月29日から4月4日の出来事や
父と母がどんな生活をしていたのかは
今でも母も多くを語ろうとしない。

語りたく無い位の筆舌に尽くしがたい
数日感であったのだと
想像するしかないのだ。


そして、この段階で私達姉弟
3月24日以来、我が家に起こっている
禍を何一つ知らされていない。






自宅3階の和室。
南向きの窓から柔らかい陽射しが
一階の工場よりも明るく部屋に
差し込んでいる。

父の顎と頬には無精髭が目立つ。
父が最初に声をかけたあと、

父と母の前に無言で立ち尽くしている
私達姉弟に座るように促し

いつもより数段低い声で
絞り出すように口を開く。


「お前達に大事な話がある。
      良く聞いてほしい...。」